Carema Classico / Produttori Nebbiolo di Carema (赤)750ml
今やカレーマにしか残っていない石垣造りの段々畑に棚仕立に仕上げられたネッビオーロ。収量は多く、凝縮したワ インはできないが、昔ながらの滋味あふれる野性的なワインが出来上がります。高地で育ったネッビオーロは近年のランゲの凝縮度や高いアルコール度数とは無縁。各生産農家は専業ではなく、収量の制限もほとんどしていないと言う。昔ながらの透明感溢れる地酒的なネッビオーロがここには僅かに残っていました。セメントタンクで発酵(一部ステンレス)大樽で熟成。
人口 700 人の「カレーマ」。トリノからアオスタに向か う途中にある小さな村にピエモンテで初めて DOC を 獲得した銘酒「カレーマ」がある。 アオスタに隣接する「カレーマ」は独特のワイン文化 が残されている。 その中心的役割を果たすのが 700 人の村民のうち 80 人が所属する協同組合「プロデュットリ・ネッビオ ーロ・ディ・カレーマ」。 『1960 年にカレーマのワイン文化を後世に残すこ とを目的に設立された組合。組合員は全員、他の 仕事と兼業している』 現在の社長は郵便局員との兼業。醸造責任者もカ レーマ出身。ボトリングやエチケット貼りは地元のお 年寄りが担当している。 「カレーマ」の畑は全て合わせても 12ha のみ。ほと んどがこの組合によって醸造されている。 1960 年設立、1965 年には現在の場所に移動し、 熟成からボトリング、販売までを行うようになる。 『1960 年から 1983 年までは各栽培農家の自宅 で収穫、発酵までを行っていた。発酵終了後、カン ティーナに持ち込みアッサンブラージュし、樽熟成を 行っていた』 繊細な作業である発酵を各家庭で行っていたとは 今では考えられない。当然、品質は高くなかった。 『当時はまさに地酒でした。1983年、現在のカンテ ィーナのセメントタンクでの発酵に変更。一気に品 質は向上した』
「カレーマ」はネッビオーロが育つ限界地点と言われ る。この冷涼な土地で葡萄栽培を可能にしているの が「ドゥピン」と呼ばれる畑の作り方。
『ネッビオーロの畑ではここにしか無い石垣で組まれ た段々畑。古い区画は支柱も地中の岩盤を切り出 して作っている』
この石柱を「ドゥピン」と呼ぶ。石垣と「ドゥピン」が日中 に太陽光で温められ、一気に冷え込む夜間に熱を 放射することで葡萄が温められる。 仕立は雪が積っても腐らないよう身長よりも高い。急 勾配の斜面に葡萄樹が 2~4 列植わった段々畑が 張り付いている。 機械は入れない。牛を使った耕作も不可能なので 全ての作業は手作業。収穫は 30kg のカゴを背負っ て石段を登り降りすることになる。
『厳しい自然の中、石垣と石柱で段々畑を作ること で葡萄栽培を可能にした。今では効率が良いとは 言えないが、先人の知恵が詰まっている』
「カレーマ」の繊細な酒質は他の偉大なネッビオーロ の産地でも表現できない。代わりの無いワイン。
人口減、高齢化に伴って捨てられ荒廃する段々畑 が後を絶たず、後継者問題に直面していた。 「カレーマ」は存続の危機だったが、近年ガンベロ・ロ ッソ等で注目され、注目が集まっている。 地元で消費されていたワインは世界中に売れるよう になり、品切れ状態が続くようになった。 お年寄りでも作業できるよう、一部では伝統的ペル ゴラ仕立からグイヨへの変更も行われた。
『一方で収量が多いペルゴラ仕立で段々畑だから こそカレーマの良さがあるとも言える。国際的ワイン になるべきではない』
産地としての「カレーマ」は存続できそうだが、個性と しての「カレーマ」も存続できるだろうか。
『一部のお客の要請でバリック熟成のカレーマも造 ったが好きになれない。やはりカレーマの伝統にの っとったワインであるべきだ』
寒いカレーマの大型セメントタンクで発酵し、栗やオ ークの大樽、フードル樽など色々な樽で長期熟成さ せることでカレーマは完成する。 少し野性味を感じさせるくらい樽熟成期間が長いこ とが昔ながらの田舎味を引き出している。